水元ネイチャー
プロジェクトとは

写真を残すのではなく、
本物を残そう。

わたしたちは都立水元公園を中心に地元地域の自然環境を保全し、将来に継承するために活動するNPO法人です。
水元公園および水辺のさとに残された豊かな自然環境を保全し、江戸前金魚など水産試験場跡地としての歴史を次世代に伝えるために様々な活動に取り組んでいます。
わたしたちの活動は次世代の子どもたちに向けて都内の貴重な自然環境をより良く継承するために、広く市民に対して環境保全の大切さを認識してもらうことを目的としています。
水元公園を基盤とし、生物調査や植生管理、外来生物の駆除、都内各地の公園等の管理の提言や援助等を行っています。

水元公園は東京都葛飾区の北東部に位置し、埼玉県の境に接しています。

水辺のさとについて

水元公園内にある水辺のさとは、かつては水産試験場として1935年(昭和10年)から65年もの間、維持管理されてきました。水元公園が1965年(昭和40年)に開園してからも一般市民への開放が限られてきたため、数多くの貴重な動植物が水産試験場の土地で命をつないできました。

水産試験場としての役割が終了した後、水産試験場の歴史資産を大切に保護しつつ、かつての水元小合溜の自然あふれる水郷景観を復元するために整備が行われ、一般開放されるようになりました。

水辺のさとは、自然資源を将来にわたって継承するための「遺贈空間」として高度な環境学習ができるフィールドであり、東京都および葛飾区にとって重要な場所となっています。

生物多様性と外来種問題

生物多様性とは、生きものたちの豊かな個性とつながりのこと。地球上の生きものは一つ一つに個性があり、全て直接に、間接的に支えあって生きています。

外来種の中には、もとから生息していた生物(在来種)を捕食したり、生息場所を奪ったり、交雑して遺伝的なかく乱をもたらしたり、生物多様性に対して悪影響を及ぼすものもいます。

しかし、外来種を駆除すれば問題は解決するのでしょうか。外来種を持ち込み、他の生きものが減ってしまうような環境をつくったのは人間です。わたしたちは自分たちが暮らす社会と自然の関係について今一度よく考える必要があるのかもしれません。

水元ネイチャープロジェクトと
水辺のさとの沿革

  • 1935年(昭和10年)

    「東京府水元養魚場」が古利根川の旧川道の湿地帯に設置される。

  • 1946年(昭和21年)

    「東京府水元養魚場」から「東京都水産試験場分場」となる。

  • 1969年(昭和44年)

    大田区羽田の本場と総合し「温水魚研究部」となる。

  • 1970年(昭和45年)

    糀谷にあった水産試験場が閉鎖となり、本場を水元に移転する。

  • 1997年(平成9年)

    水産試験場の閉鎖が正式に都議会で決定される。
    残された貴重な自然環境をどうするか検討するため、各活動団体が集まり「水試跡地連絡協議会」が設立される。

  • 2000年(平成12年)

    「東京都公園審議会」で水産試験場跡地を従来の水郷景観に復元する方針を打ち出し、「遺贈空間」として新しい環境学習ができる公園として計画および計画図が策定され、整備工事が始まる。

  • 2001年(平成13年)

    「水試跡地連絡協議会」が発展解消し、「NPO法人水元ネイチャープロジェクト」を結成する。

  • 2004年(平成16年)

    水産試験場跡地が一部のみ開園される。

  • 2006年(平成18年)

    水産試験場跡地の整備工事が完成し、正式に開園される。